【ヒップホップ】世界基準の日本人DJまとめ


▼DJの定義とは?

DJ(ディージェイ)とはラジオ番組の司会者、あるいはディスコやクラブ、パーティー、ライブ、野外レイブなどでレコード・CD・デジタル音源などを使い音楽を”鳴らす”人である。

1973年、ニューヨーク・ブロンクスでサウンドシステム(野外ディスコ)を開始したジャマイカ移民であるクール・ハークが、ヒップホップDJの普及者として知られる。ブレイクビーツやスクラッチなどの技法が開発され、ヒップホップDJの独自性が高まっていった。

※補足すると、
ライブでのDJイング以外にも
スクラッチ・ジャグリング技術を競うバトルDJ、
ターンテーブルを一つの楽器と捉えたターンテーブリスト、
プロデュース・楽曲制作、などがあります。

▼”世界基準の日本人DJまとめ” について

今回は、世界基準で活躍しているヒップホップの日本人DJについて、

1990年代、2000年代、2010年代、と年代別に

それぞれのジェネレーションを代表するDJを、まとめてみました。

ヒップホップの重要なエレメントであるDJを、少しでも知ってもらえればと思います。

■1990年代

・DJ KRUSH

アブストラクト・トリップホップと呼ばれる、ダークで"煙"なサウンドが初期の特徴。
ソロ作品の中期以降は、日本の伝統楽器やフリージャズなど、型にハマらない音を追求。
『ワイルドスタイル』に影響を受け、ブレイク・スクラッチなど現場でのパフォーマンスも世界基準、てかインディペンデント!!

KRUSH POSSE、〈流-RYU-〉、N.M.L.(ZERO LANDMINE)、Es.U.Es CORPORATION。

94年、ソロ1stアルバム『KRUSH』以後、
数多くの作品を世界規模にてリリース。

グラストンベリー(UK)、コーチュラ(米)、など世界中の音楽フェスで20年間に渡り、プレイし続けている。

国内よりも、
確実に海外での評価が高い現行型”レジェンド”。

”はじめた頃は50歳になっても現場でDJしてるなんてことは考えてもみなかった。
10年後くらいには横に看護婦に立ってもらって、点滴打ってもらいながらDJしてたりして(笑) ”

・dj honda

バトル・スクラッチ技術を武器にしたアーリー90’s。
豪華客演陣を呼び込むだけのトラックメイク・ビジネス感覚に長け、
プロデューサーとして不動の地位へ。

dj honda RECORDINGS。

95年、1stアルバム『dj honda』(The Beatnuts, Redman, Guru, DJ Premier, Fat Joe, Common,)

97年、2ndアルバム『h II』(De La Soul, Keith Murray, KRS-One, Mos Def)

ビルボード誌のRap・R&Bチャートなどで17位まで上昇。アジア人として初の快挙。

現在は、東京・札幌を拠点に活動。

あまりにも有名な”h”ロゴのオリジナル。
90年代のNYでの彼の功績は、ケタ違いです!!

■2000年代

・Dj KENTARO

仙台、Ninja Tune、Endeavor、World DJ Academy。

02年、DMC World Finalで世界チャンピオンとなった初の日本人。

07年、1stアルバム『Enter』を世界リリース。

コーチュラ(米)、フジロック(日)、自身も関わるBASSCAMP(日)など世界各地のイベントに出演。

いやーーー、天才!!!

圧倒的なスキルで世界を制した2000年代前半、
そのスキルを楽曲制作に持ち込んだ2000年代後半を経て、
現在は、世界各地のパーティを確実に”アゲれる”DJ。

・DJ MITSU THE BEATS

ジャジー・オーセンティックと評されることの多い、”ミツ印”なヒップホップ。
時代性と自身の価値観の融合をスムースに出来る賢人。

仙台、JAZZY SPORT、松竹梅レコーズ、GAGLE。

96年、実弟のMC HUNGER、DJ Mu-RとGAGLEを結成。

03年、ソロ1stアルバム『NEW AWAKENING』は、世界中のリスナーから評価をうける。

国内の一般層よりも、
ヨーロッパ各地や北米、アジア圏での認知度が高く、数多くのイベントを経験。

GAGLE名義、ソロ名義と毎年の様に作品を出し続けている。
寡黙で多作な音楽家。

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